Walt Disney Animation Studiosでストーリーアーティストとして活躍する鳥海ひかり氏と栗田唯(SOIFUL代表)による対談企画第2回。前編では、アニメーターからストーリーアーティストへのキャリア転換、Pixar時代からGlen Keane Studios、TONKO HOUSE『ONI』での協働、そしてDisneyへの道のりについて語ります。
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Walt Disney Animation Studiosでストーリーアーティストとして活躍する鳥海ひかり氏と栗田唯(SOIFUL代表)による対談企画第2回。前編では、アニメーターからストーリーアーティストへのキャリア転換、Pixar時代からGlen Keane Studios、TONKO HOUSE『ONI』での協働、そしてDisneyへの道のりについて語ります。
※注記:本インタビューの内容は鳥海ひかり氏個人の見解であり、所属スタジオに関するものではありません。
栗田唯(以下、ユイ)今回はSOIFUL特別対談企画第2回のゲストとして鳥海ひかりちゃんに来ていただきました。どうぞよろしくお願いします!
鳥海ひかり(以下、ひかり)よろしくお願いします。
ユイまずは、ひかりちゃんと最初に出会ったきっかけから始めたくて。
ひかり確か私が大学3年か4年目だったんですけど。ユイさんの存在を知ったのは夫経由で。ユイさんが夫と同じ大学(Academy of Art University、以下AAU)に通ってたじゃないですか、その当時AAUの人たちとは沢山知り合っていて、今でも続いている友達多いんですけど、その中でユイさんは当時私が知っている中で日本人で唯一のストーリーアーティストだったんですよ。
ユイそれについて自慢話のようにしてるんだけど、俺の記憶が間違ってたら本当にゴメンやけど…。確か、ひかりちゃんから「ストーリーボードについてぜひ教えて欲しい」ってメッセージもらってたよね。
ひかりそうそう、そうです。
ユイそう言ってくれる?!嬉しい!ほんと自慢話のように言ってて、「あの鳥海ひかりは、俺に教えてくれって言ってきたんだぞ!」って、肩を振りながら歩いてるんやけど(笑)。
それは冗談で、その時からどう考えてもひかりちゃんの方が上手かったのに、本当に低姿勢で謙虚な人だなって思い知らされましたね。僕なんかにもそういう風に言ってくれるんだと。それで確かその後に会ったんだったかな?
ひかりお話聞かせてくださいって私が頼んで、アーバインのモールでお会いしたんですよね。
ユイスタバかどこかで結局5、6時間くらいいて、ずっとオーバーウォッチの話してた記憶があるんだけど。すごい面白いゲームだねって話を延々としてたね、仕事の話は全くせずに。ちょうどその時オーバーウォッチが盛り上がってた時期だったし。
その後ひかりちゃんがBlizzCon※に行って、わざわざ写真を撮って送ってくれたこと覚えてて。僕のボードが画面にバーッと映ってて、それをわざわざ送ってくれて、嬉しかったな。
ひかりちゃんを知らない人向けに紹介すると、のめり込んだらオタク全開!っていう所があって。オーバーウォッチというゲーム自体が好きだし、D.Vaってキャラクターがいて、確かコスプレしてたよね?!
ひかりちょうどハロウィンとBlizzConの時期が一週間違いくらいだったので、ハロウィン用に作った衣装をBlizzConにも着ていって。
ユイ着ていったの!?知らない人向けに説明すると、D.Vaって女の子のキャラクターなんだけど、メインはでかいロボットに乗ってガシャンガシャンと操縦するキャラクターで、ひかりちゃんはそれを「両方とも」コスプレしてるんですよ。これが超良くて!
ひかりD.Vaって韓国人の女の子がめちゃ可愛いんですよ。大抵D.Vaのコスプレイヤーさんはボディスーツがエロ可愛いということで着ることが多いんですけど、私の場合はメカが好きで。メカのうさぎの形が好きで、メカのコスプレをしたかったんですよ。
ユイこれが本当に良くて!それ見て「この人スゲーな」って改めて思ったな。
※BlizzCon(ブリズコン):ゲーム会社Blizzard Entertainmentが毎年開催する大規模なファンイベント。新作ゲームの発表、eスポーツ大会、コスプレコンテストなどが行われる祭典。
オーバーウォッチのキャラクターD.Vaのコスプレをした鳥海ひかりさん
ユイ今ではストーリーアーティストとしてトップクリエイターのひかりちゃんだけど、元々アニメーターとしてキャリアをスタートしたんだよね?転身のきっかけを教えてもらえる?
ひかり私のキャリアのスタートは、Pixar Animation Studios(以下、Pixar)でのCGアニメーターのインターンシップだったんですね。そのインターンシップ実は2回やらせていただいてて、2回目の時は単なる課題だけじゃなくて実際のプロダクションに参加させてもらって、『リメンバー・ミー』(2017, Pixar)にバックグラウンドアニメーターとして関わってたんですよ。
『リメンバー・ミー』は本当に名作ですし、私もPixarの作品の中でトップ3に入るくらい本当に大好きな作品なんで、それに少しでも関われたのは本当にラッキーだったんですけど、それが転機でもありましたね。そこでアニメーターとしてプロになるんだったら、どういうことをしなくちゃいけないのか、何が必要なのかっていうのを目の当たりにして、無理かもしれないって思って切り替えたっていうのはあったんですよ。
ユイ無理っていうのは?
ひかりやっぱりCGアニメーターさんって最終的に結果を出すものがCGアニメーションじゃないですか。2Dで絵を描く人もいるんですけど、それはあくまでアイディア出しの段階で、手描きでアニメーションをつけて監督のOKもらってから、もう一回CGでやり直すっていう感じで。最終的な評価対象はやっぱりCGアニメーションなんですよ。それで勝負していくには私は周りの同期たちと比べてちょっとその技術が足りなすぎて。
ユイそれはアニメーションの技術の話?それともCGツールを使う技術の話?
ひかりCGの技術の方が私は圧倒的に足りなかったかな。言い訳をさせてもらうと、私の行ってた大学がカルアーツ(カリフォルニア芸術大学、通称CalArts)って言うんですけど、CalArtsはアニメーションで有名なんですけど、CGアニメーターを育てるというよりは、手書きの分野が強くて、キャラクターデザイナーやストーリーアーティストを結構輩出しているので、そっちに特化してるタイプの大学だったんですよ。
ユイ不思議なことにアカデミー(AAU)は逆やんか。アカデミーはCGアニメーターを育ててPixarとかに行く人が多い中で、なぜか僕がストーリーアーティストやっているっていう。ひかりちゃんは当時その逆だったんだね。
ひかり周りの同期のインターンって、うちの夫みたいにAAUで4年間ずっとCGアニメーションに特化して勉強してきた人たちなんですよね。そういう人たちと比べて、私はそもそもMayaとかのソフトウェア技術からして全然足りなくて。
そういう技術はいずれ慣れれば身につくものではあったんですけど、私はやっぱり絵を描けないっていうのが歯がゆくて。CGアニメーションって全部グラフエディターとかで形を作っていくので、絵を描く時間があんまりないんですよ。でも私は手を動かして線を引いて絵を描いてる時に頭が動くタイプの人間だったので、それができないのはちょっと歯がゆいなって思って。
3ヶ月のインターンシップでブートキャンプみたいにやらせてもらって、そこでこのままアニメーターとして続けていくのか、それとも進路変更するのかって考えたんです。大学4年生の時に、最後にストーリーアーティストの道にチャンスはあるかなと思って切り替えて、ポートフォリオを作り直したんですよね。本当に卒業の3ヶ月前とかに。
Tokyo Anim Unite 2024の懇親会にて
ユイPixarの次に行ったのがGlen Keane Studiosだった?
ひかりそれで一念発起して2週間でポートフォリオを作り直したんですけど、それを見てもらってオファーをいただけたのが、Netflixのグレン・キーンプロダクションの『フェイフェイと月の冒険』(2020, Netflix)の制作でした。
ユイキャリアとしてはエグすぎるけどね、いきなりGlen Keane Studiosにストーリーで入れるって。それこそ飛躍がすごいなって感じがするけど。
ひかりでもあの頃は運が良かったなって思いますね。Netflixがその年あたりからちょうど大きくなり始めてて。私が入った年ってまだNetflix Animationできてなかったんですよ、私が入った直後にできた感じで。学生から見た就職先の選択肢としてはNetflixまだ入ってなかったんですけど、そろそろ入り始めてた頃で、たまたまそのポートフォリオデーにグレン・キーンプロダクションのプロデューサーの方がいらしてて、そこで見つけてもらった感じでしたね。
あの時期のNetflixを見れたのは楽しかったですね。まさに会社が作られて大きくなっている最中だったので。毎週新しい人が入ってきたり、ヘッドハントがめちゃくちゃ起きてたんです。Disneyのあの人がNetflixに来るんだって、DreamWorksのあの人が来るんだって、というのが毎週あったので。
ユイJin Kimとかもその一人って感じ?
ひかりそうでしたね。グレンさんがやるって言ったら、「しゃーないな」みたいな感じで集まってくれるレジェンドの方々がたくさんいて、そこにちゃっかり入ってたおかげで、いろんな人とお知り合いになれたっていうのは、めっちゃラッキーでしたね。
ユイ確か、キャリアとしてはまだ始めたばっかりで、見習いみたいな感じで始めたけど、結果的にはプロジェクトの最後までいたって話だったよね?
ひかりそうですね。大抵入るときは、特に新卒だと、アプレンティス(見習い)やインターンシップで、まずお試し的に入れてもらって、それを6ヶ月くらいやらせてもらってて。
ユイストーリーアーティストはその時何人くらいいた?
ひかり長編だったんですけど、チームは割と小ぢんまりしていて、一番多い時で10人くらい、基本のチームは6人くらいでしたね。最後は私1人みたいな感じで。
ユイ最後までいるっていうのは、ちゃんと認められて信頼されてるからじゃないかなと思うけど、そういう関係を築けたってことだよね。
ひかりそうですね。ありがたかったのが、ストーリーチームってそもそもあんまり人数がいなくて、その当時はコロナ前だったのでスタジオで毎日みんな出勤してたんですよ。監督のグレン・キーンさんも毎日ほぼいらしてたので、直接話をやりとりするタイミングがかなりあって、そこで結構鍛えてもらったっていうのがありますね。
ユイグレン・キーン直々に絵のフィードバックもらえるって、ものすごいことだよね。
これ忘れもしないですよ。『ONI ~ 神々山のおなり』(2022,Netflix)ができた後に行ったLIGHTBOX※で、グレン・キーンとバッタリ会った時があったじゃないですか。そこで僕聞いたんですよ、グレン・キーンから直接「Hikari is Genius」って、はっきり言ってたから。あのグレン・キーンが「ジーニアス」と言うぐらいのことを成し遂げたんだなって、震えましたね。
鳥海ひかりが僕にストーリーボードを教えてくださいって言った、あの日からまさに月まで行くぐらいの飛躍で、飛ぶ鳥を落とす勢いで行ってしまったんだなと、すごく思いました。
ひかりあんまりそんなおだてられちゃうと…。絵が上手ければ上手いほど表現力が広がるっていうのは、確かにグレンさんに叩き込まれましたね。
ユイ例えば、どんなフィードバックがあったの?
ひかり私がよく話す逸話なんですけど、本当にもう表情にこだわる方で。眉毛もそうなんですけど、下まぶた。
キャラクターが遠くに思いをはせてるような絵を描いたんです。一応遠くは見てたんですよ、私の絵でも。でも返ってきたフィードバックが「下まぶたにもうちょっと力入れて」って。もうちょっとこうしないと、この叶わない、どうしようもない思いを表現できないって言われて。
「下まぶたかよ」って思ったんですけど、それで下まぶたに手を入れたら、確かに…ってなりました。
ユイストーリーボードではそこまで流石にしなくない?もうアニメーションの域の話よね。
ひかりそうなんですよ。確かに当時は締切も近いので、そんな下まぶたなんて言ってらんない!って思ってたんですけど、でも、その下まぶたをできるかできないかで、アーティストとしてのランクが一つ上がるっていうのは、もっともじゃないですか。
なので、そういうところをまだ比較的頭の柔らかいうちに、たくさん指南していただいたのはすごくラッキーだったなって思いますね。
ユイこの話もっともっと聞きたいな。すごすぎるな。
ひかりまぶたもそうなんですけど、眉毛なんかも本当に厳しくて、5回リテイクがあったんですよ。本当にリアクション1ショットだったんで、もうさっさとアニメーション流せばいいのにって感じだったんですけど、ダメって返ってきて。
私の上司のHead of Storyの人が1回直したんですよ。もう一回ダメって返ってきて、2回目もその人が直して。また返ってきて、「もうダメだ、ヒカリー!」って言われて(笑)。私も2回直してダメで。申し訳ないですって、グレンさんに私の液タブのところに来てもらって、直々に描いてもらったことがありましたね。
ユイ本人が描いた方が早いってことだよね。
ひかりそうそうそう。これは描いてもらわないと無理かもしれないです…みたいな感じで。
ユイそれもこれも、そのプロジェクトの監督がどの畑から来たかって、だいぶ関わってくるよね。アニメーションの畑から来てる監督だから、キャラクターの表情だったり、アクティングの部分が結構厳しかったりするのかなと聞いてて思いましたね。
ただ…ストーリーでそこまでやっても、結局それ使わない絵だからね、最終的には。
ひかり良いのか悪いのかは意見分かれると思うんですけど、修業中の身としては、あの体験をさせてもらったのは100%良かったですね。
ユイそれはそうだよね、かなり貴重な時間だよね。いやもう本当に羨ましい限りですよ。
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栗田唯による『ONI』オープニングシーンのストーリーボードの一部
ユイその後、TONKO HOUSEの『ONI ~ 神々山のおなり』で一緒に仕事をしたよね。
ひかりそこで初めてユイさんと正式に一緒にお仕事させていただいて。
ユイ確かに!だってその時はもう僕の上司だからね。
ひかりいやいやいや。ユイさんがAチームで私がBチームだったので、直接的には交わらなかったんですけどね。
ユイでもフィードバックもらえたり、ひかりちゃんのボード見て唸ってましたね毎回。「自分もこうならないと」って思いながら見てました。
すごく印象に残ってるのは、覚えてるかな?本編では使われなかったけど、『ONI』のアニメオープニングみたいなイメージのやつをやって。元はひかりちゃんがベースを作ってくれてて、それを僕がバトンタッチで受け取って、ビートの部分だけ残して、あとは好き勝手やらせてもらってピッチしたその日、みんながすごく喜んでくれて。
ひかり覚えてます!ユイさんのほんとすごかったです。ユイさんのバージョン見て、本当に楽しませたいっていう気持ちが溢れてて。観客ももちろんだけど、チームで一番最初のオーディエンスになるストーリーチームのみんなにも楽しんでもらいたいっていう、そういうアイディアとか演出がすごく詰まってて。それが伝わって、みんな「わー!」って盛り上がってましたね。
ユイ今話しながら思い出したんだけど、まさにストーリーボードの真髄だなって。DICEさん(堤大介監督)もよく言ってるんだけど、最終的にはお客さんに見せるものだけど、今ひかりちゃんが言ったように、一番最初のお客さんってチームメイトなんだよね。そのチームメイトを喜ばせてエンターテインすることが大事だって、後々聞いて。今思うと僕はあれをナチュラルにやってたんだなって。僕の仕事はストーリーボードしかできないなと思ったよ。これが自分に一番向いてるというか。
ひかりユイさん節の真骨頂って感じでしたね。
ユイそれは言えるかもね。例えばストーリーアーティストって言ったら、ひかりちゃんみたいに絵が上手くないといけないって思う人も多いと思うんだよ。これくらい絵が上手くないとって。でもそうじゃなくてもいいっていうのは、僕がある意味証明したかなって気持ちになってて。
もちろんひかりちゃんみたいに...絵が上手いって言うとややこしいんだけど、その絵の上手さっていうのは、アクティングが上手いとか、キャラクターの描き方とか、演出とか、そういうのも全部含めて言ってるんだよね。だからストーリーボードの仕事って本当に奥が深いし、いろんな人に可能性がある仕事だと思ってます。
ユイDICEさんとのエピソードも聞いてみたいな。
ひかり堤さんがリーダーとして凄いなと思ったのは、私も『ONI』のプロジェクトでEpisodic Directorの一人として任されてたんですけど、その時私まだ仕事始めて2年くらいだったんですよ。そんな経験の人を使っちゃうの、未だに凄いなって思います。
「私でいいんですか」って聞いた時におっしゃってたのは、「アーティストが背伸びをしている時が一番いい仕事をするから」って、「信じてるぜ」みたいな感じの言葉をいただいて。そう言われちゃったら頑張るしかないなって感じで調子に乗ってやってたんですけど、今考えたら結構な博打だったよなって思って。
ユイ普通、自分のプロジェクトは安牌でやりたいもんじゃん。ちゃんとキャリアのある人が来て、スキルが保証された状態で仕事する方が、やっぱり自分のいい作品作るためには一番確実だと思うところを。まさに今言ったように博打って言うと変だけど、事実上まだキャリアもない人にやらせたいっていうのは、DICEさんらしい凄く勇気のある行動というか。
ひかりそうでしたね、何をもってそう言ってくださったのか未だによく分かってないんですけど。堤さんとは『ONI』の時からお仕事として繋がってるんですけど、それ以前のまだ学生の時も、定期的に「最近どうですか」って進路についての相談とかも乗ってくださってて。その点で、堤さんのような方に信じてもらえてるっていう、根拠のない勇気みたいなのをいただきましたね。
ユイでも実際『ONI』でめちゃくちゃ活躍してたし。ひかりちゃんのシーンで色々好きなのあるけど、今一番印象残ってるのは、かっぱが治療するシーン覚えてるな。
ひかり覚えてますよ!チャプター2の最後ですよね。
ユイだいぶシリアスなシーンで、そのシーケンスをガツッとひかりちゃんがやって、一番初めにピッチした時。まさにストーリーボードの真骨頂というか、実際の完成した映画を見てるわけじゃないのに、まるで見てるかのように感じるピッチだったし、ボードも素晴らしくて。ピッチを終えた後の静けさがね、もうゾワゾワっとしたの覚えてますね。
ユイそして現在のDisney(Walt Disney Animation Studios、以下Disney)に入ったきっかけを教えてもらえる?
ひかり学生の時のポートフォリオデーでDisneyとはすでに繋がってて、リクルーターさんも別に新卒でその場で採用したくて見てるっていうわけでもなくて。「こんな子いるんだ」みたいな、「2、3年後に一緒に働けるかもな」みたいな感じの見方をしてるところもあるんだと思うんです。
その場でインターンシップもらえなかったから、じゃあさよならっていうわけじゃなくて、キープインタッチみたいな感じで、「またavailable(働ける状態)になったら連絡くださいね」って繋がってはいたんですよ。
『ONI』が終わって仕事をもう一回探し始めるってなった時に再度連絡して、そこから返信があってという感じですね。