SOIFUL対談企画
第3回:伊藤より子×栗田唯「情報のない時代の大冒険 - ハリウッドキャリアの軌跡」(中編)

対談企画第3回中編

中編では、1988年バブル時代の女性の閉塞感からの脱出、サンフランシスコでの時給3.5ドルの極貧生活と背水の陣、絵本作家からアニメーション業界への転身、そしてマダガスカルでのアニー賞ノミネートまでの軌跡について語ります。

/ Interview

中編では、1988年バブル時代の女性の閉塞感からの脱出、サンフランシスコでの時給3.5ドルの極貧生活と背水の陣、絵本作家からアニメーション業界への転身、そしてマダガスカルでのアニー賞ノミネートまでの軌跡について語ります。

1988年の渡米決断 - 女性が輝けない時代からの脱出

バブル時代の閉塞感とアメリカへの憧れ

ユイなぜアメリカに行こうと思ったんですか?

より子とにかく海外に出たかった。1988年とかですよ(注:1986年は男女雇用機会均等法ができて、いちおう女性も総合職に応募できるようにはなった年)。日本はバブルの真っ最中だったけど、当時は女性の就職先は皆"OL"。気を使うのが苦手な性格(天然)だったし、自分にはOLは違うんじゃないかなと。ともかく高校の頃から海外に出たくて仕方なかったのよ。でも家が裕福じゃなかったから、「さて、どうしようかな」と考えたの。短大で英文科に入ったのはともかく、『1年でもいいから海外へ行こうと』計画したの。

それで在学中はバイトばかりしてお金貯めて、自分で海外留学のことを調べだしたら英語の勉強より自分の興味があることをした方が良いと書いてあったので、子供の頃から絵を描く事が大好きだったから美術系がいいのではと思ったんですよ。元々美大へ行きたかったけどそれを後押ししてくれる家庭じゃなかった。うちの家系にはアートで生計立ててる人いなかったしね。

ユイそうだったんですね。

より子で、それ以前にアメリカのイラストレーションっていうものを愛知県の県立美術館で見たんです。ポール・デイヴィス氏の展覧会がありそこで「アメリカのイラストレーションって絵画のようにすごい!」って思ったの。その頃の流行りの日本のイラストレーションってふわふわしてたんですよ、可愛らしいアートでパステルチックだったり。昔の古いイラストは好きだったんだけど、でも日本でイラストレーションの専門学校行くって希望はなかった。

私、その頃(1988年)はテレビ以外はアニメも全然興味なかったの(というか知らなかった)。宮崎駿氏も良く知らなかったし、ディズニー映画も見たことないぐらい。ただ漫画と絵は好きで、漫画イラスト描くのは好きだった。高校から美術館にはよく行ったわ。小学校の低学年の頃学校の図書館でベラスケスの画集見て感動してた。「ベラスケスすごい」と。マルガリータという王女様の絵があるんだけど、「これ絵で描いたんや、こんな写実的に描けるんや」って思って感動した。その頃はピカソじゃなくて写実的な絵がすごいなって思って見てたの。

ユイ子どもの頃から絵に惹かれてたんですね。

アカデミー・オブ・アート(AAU)選択の決断

より子私の周りにアート系を職業してる人なんていなかったの。その頃日本でアメリカ式の絵の通信教育も見たけどそれも結構高いなと。学校の英語の先生に、「アメリカの大学どうやって調べたらいいの?」って聞いたら、「名古屋駅前のアメリカンセンター行って調べるといいよ」と。そこに沢山の学校のカタログがあり、沢山のアートのスクールの資料も本棚にあった。1冊ずつ見てたら、面白いなぁ、4年制の絵(イラスト専攻)の学校ってこんなにたくさんあるんだって感動した。

そこでやっぱりアートを学ぶんだったら都会だ、と思ったの。最終的にアートセンターとスクールオブビジュアルアートとサンフランシスコのAAU、この3つを選択。郵送でカタログ請求したの。でも私にとっては授業料めっちゃ高くて!折れた。で一番安いのがAAUで、その次がアートセンター、その次がスクールオブビジュアルアート。ニューヨークは学費も生活費も高く、LAは車が必要だし。それでAAUを選びました。

サンフランシスコでの苦闘 - 時給3.5ドルと背水の陣

誰も知らない街での生活立ち上げ

より子誰もアメリカには知り合いはいないので、手紙をタイプしてアメリカの学校に郵送し、暫く待って返事が来てというプロセス。全部手紙のやり取りよ。今と比べるとすごいでしょ。

ユイなんともすごい時代ですね!

より子忘れもしない1988年の8月22日にSFの空港に着いたけど、(当時はほぼ英語喋れないし)タクシーは高いし、どうやって行くかなって困ってたら、そこで会ったカナダ人のグループが「シャトル乗ってくといいよ」って教えてくれた。その人はすごい優しい人で1週間ぐらい彼らとハングアウトしたんだよ。カナダから来た脳外科医のグループでサンフランシスコの学会で来ていた。今でも会いたいんやけど、なかなか見つからない。

まずは予約してたドミトリー(学生寮)に入ったけど、半年で嫌になってアパートを探したわ。すぐにヘイトストリートのヘルスフードストアでフードバーの仕事も見つけて。時給3.5ドル、その頃の最低賃金。その後寿司屋のバイトに変えて、もうちょっと給料上がってチップももらえるようになって。月1,000~1,200ドル稼いで、ルームメイトと2人でアパート借りて、給料の半分貯めて、それで授業料払うことができた。

ユイ全部自分で稼いでたんですか?

より子そう、最初日本でバイトで稼いだ100万円ほど持っていって(注:当時は円高になったばかりで1ドル135円位)、一度だけ叔母に軍資金を借りたけど卒業後に全部返したわ。ほぼ全部自分で稼いで。授業料は当初はまだ安かったの。年間4,000ドルかからなくて。

ユイすごいですね、働きながら学生やって。

より子それで初めは1年でも行けたらっていうところから始まって、バイト見つけて。超貧乏学生でバナナかじって、寿司屋のバイトだったからそこで夕飯食べれるけど、外食はできなかったわ。めっちゃ貧乏学生してました(笑)。だから絶対仕事見つける!と、かなりハングリー精神高かった。3年目ぐらいからアートのフリーランスも始めたわ。卒業後は日本に帰らない。アメリカで絶対仕事見つける!っていう信念があったの。とにかく帰れない、帰らないって思ってたわ。なんかこう、一旗挙げないとって(笑)。

ユイ背水の陣といったところですかね。

日本に帰れない覚悟と日本人社会との葛藤

より子日本に帰っても私は日本では働けないと思ってたの。日本は男性中心の社会だから。それは理由があって、私がアメリカでバイトしようとした時に友達が紹介してくれて、日本の旅行業社の面接へ行ってたの。でも落とされるわけ、対面の日本語の言葉遣いができないと言われて。当時21歳で渡米して日本で就職したことがないので社会人の言葉使いが出来ない。

それからいくつかの日本人の寿司屋で働いていた時も、そこでの"独特の"日本人社会の空気になじめなくて。きっと20代の若い娘で愛想なくて生意気だっただと思うけど、セクハラがあったり冷たくされたりとか。学校行って遊びにも行かず、「一緒に飲みに行こうぜ~」って誘われても、「宿題がありますから」って帰る。他の人は受け応えが上手でそれなりに付き合ってたりしても、私は目標があったから、真面目にバイト、学校と宿題だけ。

もちろん素晴らしい日本人の友人もいたわ。一緒に働いてる海外の学生達もみんな夢があった。でもたくさんの人がビザ取れずに帰っていって、ビザ取得って大変なんだとわかってた。私は絶対残るぞって思ってた。色々と嫌なことも経験したわよ。例えばあるルームメイトに騙されてお金取られたこともあったし。他にも時には理不尽にルームメイトから部屋を追い出されたこともあったわ。

ユイえええ!?

より子いきなりルームメイトがいなくなって。電話代もめちゃくちゃ使い込みが発覚。当時で1,000ドルくらい。89年の1,000ドルって、家賃が500ドルの時やから、今で言ったら30万円くらいよね。それ泣く泣く払ったわ。

ユイすごい大冒険ですね。

より子そんな嫌なアメリカでのバイト先の日本人社会での過去もあったり、当時のまだまだあったであろう女性軽視の日本人社会はきっと嫌になるだろうと考え、敬語もまともにできないし、お茶汲みもしたくないから、学歴社会の日本では女性の昇格もないだろうし未来は無いわ、と当時は勝手に決めつけてて(笑)。でもありがたいことにアメリカの会社に拾われて、だから昔は一度も日本で仕事をしようとか思わなかったな。何よりアメリカでチャレンジしたかったし、頑張れば見返りのあるアメリカが面白かった。実力があれば、努力すれば、アメリカではマイノリティーでも女性でも仕事が取れるって、アメリカンドリームよね。

絵本作家からアニメーション業界へ - ゴーゲッターの軌跡

アメリカンライブラリーソサイエティでの大勝負

ユイもともとアニメに興味がなかったのに、今は業界のど真ん中にいますよね。どうやってアニメーション業界に入ることになったんですか?

より子卒業当時は絵本の仕事から始めたの。そのきっかけはというと、アメリカの学校っていろんな年齢の人が在籍しているのよ。引退してから再度自分のやりたいことにチャレンジしている人もいる。最終学年の時、当時4、50代の女性の司書さんの同級生がクラスの皆に 『SFでアメリカンライブラリーソサイエティ、というコンファレンスがあって、ニューヨークからたくさんアートディレクターが来るわ。絵本やりたい人は絶対行くといい、入場料も私がいるから無料で入はいれるわよ』って誘ってくれたの。私はその誘いに乗り「行くわ!」って。作品持ってほぼ全部のブースに話しに行く勢いで3日間周ったの、「私こういう絵を描きます、絵本やりたいです」って、沢山の出版社にアピールしに行ったわけ。その当時友人から仕事を取るゴーゲッター(Go getter)って言われたわ。

ユイすごい行動力ですね。

より子それでしばらくしたら、Bantam Doubleday Dellと言うニューヨークの大手出版社から絵本を出していた作家から「日本の昔話のアダプテーションが既に出版が決まっているけどイラストレーターを探している、君の絵が気に入った」って連絡が来たの。でも日本の絵の作品なんて全然描いてなかったから、急いで『鶴の恩返し』の童話を自分のイメージで描いて送ったのよ。それで抜擢されて、絵本出版が決まったの。

それで精一杯描いたのが私の初めての絵本、『Lily and the Wooden Bowl』(注:これは小泉八雲/ラフカディオ・ハーンが欧米に紹介した『鉢かづき姫』の話が元)。賞ももらったりして、出版社も押してくれて数カ国の海外でも出版されたのよ。卒業から1年で絵本出してる人なかなかいない。そんなこんなで、エージェントもついて絵本の仕事がもっと来たわけ。しかし、フリーランスではアメリカではビザは取れないとわかりそれは困ったと。ちょうどDisneyの背景画アーティストの募集要項見て応募、その後『眠りの森の姫』の背景画のテスト(背景画のコピーをする)を受けて、見習いポジション(トレイニー:フルタイムになる前のポジション)に受かった!ーーーんだけど、暫くしたら見習いポジションにはビザができないと発覚、泣。

ユイせっかく受かったのに辛かったですね。

AAU卒業ショー

アカデミー卒業ショー(1/7)

AAU卒業ショーの時

『Lily and Wooden Bowl』のイラストを描く伊藤より子さん(2/7)

伊藤より子氏の作品

『Lily and Wooden Bowl』イラスト(3/7)

伊藤より子氏の作品

『Lily and Wooden Bowl』イラスト(4/7)

伊藤より子氏の作品

『Lily and Wooden Bowl』イラスト(5/7)

『Lily and Wooden Bowl』カリフォルニアでのアートショー

カリフォルニアでの『Lily and Wooden Bowl』アートショー(6/7)

伊藤より子氏の作品

『Lily and Wooden Bowl』著者のアラン・シュローダー氏とブックサイン会(7/7)

DreamWorksとDisney、両方からのオファー

より子そうね、でも泣いていられない。とにかくビザが必要だから、ゲーム会社でビザをサポートしてくれるところを見つけて働き始めたの。そこで遂にH1Bビザをゲット!当時は某ゲーム機がまだ全盛期だったけどその後傾き、その影響で自分の雇用されていた会社が2年目で急に解雇が始まって。その頃ロスでできたばかりのDreamWorksのことを知って、学校の知り合いが働いてたのよ。E3のついでに見に行ったわけ。「うわーこれはすごい、この会社で映画作りたい」って思って。「じゃあ今度雇う時に教えてあげる」って言われて、「やったー、チャンスあるかも?!」って思ったわけ。

その後面接に行ってテストして。背景画のテストってカラーコピーからのコピーなの。もらったカラーコピーはひどい質だったけど、オリジナルを穴が開くほど見つめてから帰って速攻で取り掛かり、それを3日後にFedExで送ったわ。コピーはお得意だったから、きっと受かるわ、なんて能天気に考えてたわ。最終的にDreamWorksも受かったの。

ユイすごい!

より子テストの後は中国旅行に行ってバックパックしてる時に入社のオファーを受けて、旅行を途中で止めてアメリカに帰って来たわ。それからLAに引っ越したんだけど、ビザが出るのに時間かかってしまい「もっと旅行しとけばよかったな」と後悔(笑)(注:ここでは一度H1Bビザが前の会社から出ているのでそれを移すという形でのビザの発行となる)。

DreamWorksで最初は背景画部門で入り、周りはすごい上手な人ばかり!アートセンターのトップで卒業したような人がうわーっといて、今では有名人(ネイサン・フォークス氏なども)アーティスト達が同じ背景画の同僚にいたわ。絵本のイラストレーションもフリーで続けてたんだけど、やっぱり両立は難しくて。会社も夜遅くて週末も働いてたから。しばらくして「これは両立は無理」と思って、残念だけどそれから絵本の仕事は一切やめたの。中途半端な作品では後で後悔するからね。

DreamWorksとマダガスカル - アニー賞への道

革新的テクスチャ制作とアニー賞ノミネート

より子それからアニメーション映画制作は奥が深いなと悟ったわ。映画と絵本ではストーリーテリングが同じって気がついたの。DreamWorksには13年ぐらいい在籍したの。当時は(今ではこんな長い在籍雇用は難しいけど)ビッグスタジオが健在の時代だったから、一度入れたら結構安泰だーーと思ったら2000年辺りから2Dから3Dに変わって、レイオフを何度も潜り抜けたわ。部署が半分になってまたその半分になってとかね。最終的には3D制作に100%変わった時、結局私の部署の背景画も全部無くなったの。残った背景画のチームは皆ビジュアルデベロップメントのデザイナーになるか、マットペインターのどちらか。アップダウン激しかったわ。

ユイいやいや、すごく貴重な話たくさん聞けました。DreamWorksでより子さんが『マダガスカル』でアニー賞にノミネートされたときのこともお聞きできますか。

より子『マダガスカル』ね。PDI-DreamWorks(注:PacificDataImagesはDreamWorks Animationに2000年に買収される)に移ったのは、2001年辺り。その頃DreamWorksの2D部門が閉鎖され、同僚がどんどん減って、、、2003~2004年に、Disneyのフロリダもパリもシャットダウンしたりとその時期はアニメーション業界の怒涛の時期。私はビジュアルデベロップメントのデザイナーになりたかったから、ベイエリアにあるPDIの友達が「より子、今募集してるから来たら?」って言ってくれて、ポートフォリオ選考に受かりPDI-DreamWorksに移動したの。そこで本当は『シュレック』のチームだったけど、脚本がやり直しになって『マダガスカル』をやることになったわけ。

そのプロジェクトではクレイグ・ケルマンっていう素晴らしいキャラクターデザイナーがいてね(彼はHollywoodのレジェンドデザイナー)。上司から「このキャラクターで行くから」って言われてので、クレイグに曲線と直線でのデフォルメのデザインの手解きを受けたの。「あ、こういうふうにやればいいんだ」とコツをつかんでそのスタイルを背景デザインに取り入れて描き出したら、それがすごく気に入られて。彼のキャラクターはすごくデフォルメされてたから、それに合った背景のスタイルを作ることを意識したわ。

『マダガスカル』のお話はジャングルの中がほとんど。植物が多い。沢山のデフォルメされたスタイルの背景の植物をデザインしたわ。じゃあ、このテクスチャどうするか?って課題が出てきたの。その時に私は沢山の植物や木の写真を実際に撮ってきて、その写真から試行錯誤してテクスチャを作ったのよ。その案を「こういうふうにしてはどう?」って上司にプレゼンしたら、すごく気に入ってくれて。採用!まずはスタイルガイド作って、それでチームが全ての背景(特に植物)のプロップにそれぞれ合うように、手で加工した写真を使って構造を変えて、デザインし直したテクスチャを全部作ったわけ。大変だったけど、それが高く評価されたわ。他のメインのアートも任されて、それで個人のプロダクションデザインのアニー賞にノミネートされたわけね。残念ながらその時は『ウォレスとグルミット ベーカリー街の悪夢』が勝ち取ったけどね。

ユイ全てのプラントに、植物の写真からテクスチャを加工したんですか?

より子そう。当時はまだCGアニメーションの初期だったの。PDI-DreamWorksではそれまでは3Dモデルにテクスチャの画像写真をそのまま使うことが多かったんだけど、マダガスカルはキャラクターのデフォルメが強いから、それではどうもよくない。そこで自分で撮った植物のテクスチャの画像を使って工夫をしたの。3つぐらいのレイヤーを重ねて作るテクスチャ。一番下に質感のある均等なテクスチャを入れて、そこに特徴的なものをリデザインして重ねていくわけ。

例えば椰子の木とか、バナナの葉っぱとかそれぞれ似合うように変える。ベースとなる部分は写真を使い、植物の特徴を活かして"マダガスカル風"にデザインし直す。穴とかシミとかも全部デザインし直す。『マダガスカル』は全てがデザインされた世界だったから、植物にもデザイン性の高いパターンを入れたわけ。

でも元となるものは写真っぽくしないとプラスチックの様に見えるから。リアリティを出しつつ、光が当たった時に質感も出る。その植物のパターンだけはデザインされてるって感じ。例えば、木目、普通の木目があるとするでしょ。細かい木目もあり、大きな木のうねりの木目ある。大きいラインは手書きでデザインするの。そこにエンボスをつけたり、シミもデザインっぽく入れると、自然に見えるのよ。

ユイデザインの世界って奥が深い!

『マダガスカル』キービジュアル

『マダガスカル』キービジュアル(1/7)

『マダガスカル』バオバブのラインナップ

『マダガスカル』バオバブのラインナップ(2/7)

『マダガスカル』植物のテクスチャ資料

『マダガスカル』植物のテクスチャ資料(3/7)

『マダガスカル』植物のテクスチャ資料

『マダガスカル』植物のテクスチャ資料(4/7)

『マダガスカル』植物のテクスチャ資料

『マダガスカル』植物のテクスチャ資料(5/7)

『マダガスカル』植物のテクスチャ資料

『マダガスカル』植物のテクスチャ資料(6/7)

『マダガスカル』植物のテクスチャ資料

『マダガスカル』植物のテクスチャ資料(7/7)

CREDITS
  • Yui Kurita / Interview
  • Hiroyuki Tsuiki / Editing