後編では、1991年の大胆なバイク旅行、ワクワクと怖さから見る挑戦への向き合い方、田舎のブートキャンプによる次世代育成、そしてハイクオリティを生むストーリーボード制作について語ります。
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後編では、1991年の大胆なバイク旅行、ワクワクと怖さから見る挑戦への向き合い方、田舎のブートキャンプによる次世代育成、そしてハイクオリティを生むストーリーボード制作について語ります。
ユイより子さんってバイクが好きなイメージがあって、アメリカを横断した話がカッコ良すぎて、詳しく聞きたいです。
より子そうね、昔バイク乗りだったのよ。アメリカ横断は昔のことだけど(笑)。それだけのためにアメリカに来たわけじゃないけど、やりたい夢の一つだったわ。日本でもバイク乗ってたのよ。20代前半で超若くて可愛い頃だよね(笑)。Eメールもなかった頃よ。
ユイEメールも携帯もない?
より子携帯ない、Eメールも、何もない。メールはハガキよ、ハガキ!バイクでの北アメリカ・メキシコ1週旅行は当時のBFと一緒に2台のバイクで行ったの。行程はSFから出発、まずはLAへ、南に下りバハカリフォルニア半島へ下り、コルテーズ湾を船で渡り、メキシコ本土のマサトランへ、山超えてサカテカスからメキシコシティへ入ったの。
そこで水にあたって体を壊して嘔吐止まらず。本当は更に南、ユカタン半島のカンクンにも行きたかったんだけど、体調悪くてとりあえずアメリカ戻ろうって。メキシコ湾沿いに北へ走りアメリカはヒューストン入ったらすっかり治ったの。じゃあやはり旅を続けようかって。ニューオーリンズ行き、フロリダ、キーウェストへ南下、その後東海岸を北上してニューヨークまで走り、ニューヨークから西へ、アイオア、ミシガン、ダコタ、ワイオミングなど北アメリカを走って南下してカリフォルニアへ。
1ヶ月ちょいぐらいかな、1991年の夏、本当に心に残る旅だったわ。でもバイトを1ヶ月以上休んでたからクビになってしまったんだけど(泣笑)。
ユイ1ヶ月かけてグルグルとバイクで回ったんですか。
より子そうね、今思うと凄かったよ。距離も半端じゃない、夜中ずっと走ったこともある。
ユイえー!?危ない目に合わなかったですか?
より子そうね、独りじゃなかったし。一緒にバイク旅行した人が当時日本人のボーイフレンドで、<世界一周を目指してた冒険家>だったの。いい人だったし、それかっこいいなーって「私も行きたい!」って(笑)。
ユイカッコイイ!(笑)
より子私も行きたいなって言ったら、「行く?」「行く!」「いつ?」ってなって。その後直ぐに計画して夏休みに一緒にグルーっと回った。彼は既に北アメリカはアラスカから中米など既に走った経験有りで超ハードコアのライダーでガンガン走りまくるの、雨でも走ったし。
ユイえーめちゃくちゃ危なそう、それ。
より子そんな危なくないよ。こけたのは一回だけ。
ユイいや危ないじゃないですか、一回でもやばいっすよ!(笑)
より子バハカリフォルニア半島を走行中に、なだらかなカーブ沿いの道際に牛が「モ~」って歩いてる所をブーンと曲がろうと入ったら、急にそこが浅い川みたいになってて。そこで「あ~~っ」ってゴロンとこけたのが一回。もーっ、やられたわ、でもだいじょうぶ、女神がついてるから(笑)。
ユイだってそこでより子さんいなくなっちゃったら、僕も出会えてないので。
より子(笑)そうだね。彼は以前にメキシコを走ったことがあったって、気を付けてたのはバイクの盗難だったわ。で貧乏旅行だったから、宿泊は1泊5ドルまでって決まってた。
ユイ1泊5ドル!?5ドルで泊まれるんですか。
より子当時は1991年だから大丈夫。10ドルで「高いなー」とか彼は言うの。メキシコの家は通常ゲートを入ると中庭がある。その中にバイクを駐車してもらえなかったらそこには泊まらない。外に置いておくと盗まれる可能性が高いから。
ユイちょっと話が前後しますけど、その時まだ絵の道に行くって決めてなかったんですか。
より子もちろん決めてたわ。アメリカに行く時点でアート大学に受講登録してたし。実は私は日本でもバイク乗りだったの。その頃<バイクでアメリカ一周>っていう憧れと夢があって(笑)。彼と巡り会えたのはきっと運命で行かなくちゃ、と。
ユイアメリカ一周を一度やり切ったら、もう未練はないですか。やり残したことは無い感じで。
より子そうだねー。又行きたいな、とは思ったけど(アメリカ一周は)それ一回きりだった。やっぱり絵の勉強が目的だったから、それとバイトで大変だったからね。でも心が豊かになったし、世界観が広がって良かったと思う。今でもすごくメキシコが大好きだし、その後メキシコに何度も行ってるわ。旅行好きは変わらないよ。
ユイやっぱり原風景というか、その時の記憶が、いろんな景色を見たっていうのは今の仕事に活かされたりするもんですか。
より子そりゃそうよ、それは衝撃的だったわ。アメリカの初めて走るハイウェイ1のカリフォルニアコースは最高に綺麗だったけど、メキシコへの国境を通りバハ半島に入ったらもうそこは異次元で、、、何もなくて、人間の2倍以上あるようなサボテンがぶわーっと地平線までずーっと続いてるわけ。メサと言われるテーブル状の山が道の両脇にあって至る所にサボテン、サボテン、サボテンで埋め尽くされている中に何十マイルも真っ直ぐに伸びる道路が遥か地平線まで続いてる。暑~い暑い風が吹いてきてヘルメット取って、髪靡かせて走る。対向車も本当たまにだけ。「サイコーーー!」って感じながらブルルンって走る。
ユイカッコ良すぎる!絵になりますね。
より子もう自分でも、走りながらカッコええなーって思ってたわ(笑)。サイコーに青春してるなーって。その彼がいたから危険へも恐怖はさほど無いんだけど、彼も私も結構「なんとかなるさ」タイプで、行き当たりバッタリでどこで泊まるかは決めてないの。だいたい「もう20時か、遅いから泊まるか〜」って次の街に行ったら、真っ暗。全っ然街灯が無い、とか。
ユイそうなりますよね。
より子道はあっても街灯も無くて真っ暗。そこら辺に光が見えたら「あ、次の街で泊まろう」って感じなんだけど、たまに真っ暗の中でホテル探しも。あたり前だけど、本当にメキシカンしかいなくて。彼らは皆陽気で音楽好き、時には大騒ぎでパーティやってる村の中でホテル探しも。8時間とか走る時もあったかな。夜はバイクを宿にしまってから地元のご飯食べに行く。食べたことないものを食べて、それも美味しかったし楽しかったわ。砂漠の中、急にパーッと街が現れてそこを駆け抜けていく風景がすごく好きだった。いったいここはどこなんだろう?って。今でも目に焼きついているわ。
ユイいやあ、今まで聞いたことなかったのでとても新鮮ですね。
より子サバイバルな話では、例えば昼間突然竜巻がやってきていきなり目の前が見えなくなる。周りは真っ赤っかに(赤土の場所での出来事)!仕方ないからしばらくバイク停めて待つ。それをやり過ごした後に着いた街が、サカテカスっていう素晴らしい赤レンガの街が現れる。「一体ここどこ?」みたいな感じでバイクを停めて。そこが古いコロニアルタウン。まだ闘牛とかもやってるわけ。迷路のように入り組んだ街でとっても素敵だった。
ユイお話聞いてたら映画みたいな大冒険って感じで、すごすぎます。
より子そうだね、その頃は今みたいに本当何もなかったしね。今はインターネットがあって、皆「ここ行ってきました〜」って発信してるけど、その頃何も情報なかったからね。唯一『地球の歩き方』とそのアメリカのバージョンの『Lonely Planet』という本をみんな頼っていた。文字情報だけを読んで行くしかないし、大きな地図を広げて線を引いて計画するの。その地図は未だに持ってるわ。
ユイすごいなぁ。ちょっとベタなこと言いますけど、現代は情報が溢れているけど心は貧しく、逆に情報が少なかった時代の方が心が豊かに感じるというか。
より子その通りだね、あの時代は本当楽しかった。旅先が一体どんな所なのかわからないっていうのがスリルがあったわ。行く場所の想像を膨らませるしかないじゃない。もちろん写真も少しは載ってたけど、自分の勘を働かせる事が大切。本当に行ってみて肌で感じるっていうのはすごく大切だと思う。どんな場所か、人がいるかも何もわからないし、おそらく日本人なんて会ったことない人も多い。
道路状況の情報も限られた山の中走ったりもして、ガソリンも入れなきゃいけないから「ここ大丈夫?」っていうようなドラッグディーラーなんかが居そうな場所で途中で停まることもあれば、ずっとガソリンスタンドが無くてハラハラもする事もある。西シエラ・マドレ山脈の中のトウモロコシ畑の中にある貧しい簡素なガソリンスタンドでカラフルな服を着た可愛いインディオの子共たちがわーっといっぱい集まってきて、一生懸命喋しかけてくる。写真撮ってあげて、その頃フィルムカメラだから、「写真送りたいからアドレス教えて」って言ったら、みんなが「アドレス?ナダ、ナダ」(注:無い、無い)って。「アドレスが無いのあなたたち!?」って。わかった、そういう世界なんだって、気が付く。
ユイいやー、すごい。これもベタですけど、やっぱり今の時代を生きてる若い人たちって、インターネットで見たものを行った気になれてしまうじゃないですか。より子さんからすると、やっぱり実際に自分の身でそこに飛び込んで行けって気持ちの方が大きかったりしますか?
より子そうよ、もちろん。行ったら楽しいし、絶対全然違う新しい体験ができるじゃない。景色、文化、食べ物、空気も違うし、人との対話もある。少し勇気出して飛び込むことをいつも勧めるわ。きっと何かに出会いや気づきがある。私は未知の世界にあまり怖いと思わないから。
ユイなんか聞いてると、時代とまさにタイミングと、より子さんのガッツというか性格がいい感じでマッチしてて。だって同じ時代で僕がそこにいても行かないと思います、怖くて。
より子覚えてるよ、昔ユイくんのお父さんが、「旅費代払うからヨーロッパ旅行経験してこい」って言われたから行かないといけない、って泣きそうになってて。なんでそんな美味しい話あったら行かないの損じゃない?!みたいなこと言わなかったっけ。旅費代払ってくれてヨーロッパ行ってこい、なんてめっちゃ良いお父さんじゃない。
ユイはははは(笑)、その通りです。より子さんにそうやって叱られたこと覚えてます。より子さんはバイクで飛び出して行くっていうのに対して、僕は「お前行ったらどう?」って誘われておいて、うじうじ「どうしようかな、怖いな…」とか言ってる自分が、もう本当に恥ずかしくて。そういうところでもより子さんから学ぶ部分結構多かったというか、やっぱり良い意味で勢いでとにかく行っちゃわないと始まらないっていうのは感じて。
より子そうそう(苦笑)。勢いっていうか、ワクワクしないのかな?!
ユイ僕からすると、それこそがより子さんなんですよ!
より子私は計算が足りなくてワクワクが勝っちゃうから、そこに付随する大変さとかを考えないでやってしまって、後で「あー」となったりね。
ユイいやー、憧れはありますね。より子さんの、そのなんと言いましょうか、言葉にするとちょっと失礼な感じに聞こえちゃうかもしれないですけど、要するに無鉄砲な部分がある故に得るものが多いというか。飛び込まないと始まらないんですよね。僕はそれが何かがわからないから怖いんですよ。より子さんはワクワクする、僕は怖くて行けない、になるんです。
より子よく来たじゃん、ここまで。大丈夫じゃない、何とかなってるじゃない。
ユイだから「連れて行って!」って気持ちだったんですよ、より子さんにしがみついたのは。僕じゃ行けない、怖くて。しがみついてたら目をつぶっててもどっかに連れて行ってくれるからみたいなところがどこかあって(笑)。だからここを逃したら、ずっと僕はこうふわふわ浮いてるだけの人になったんじゃないかなって。
より子学生の頃ね。でもちゃんと友人できてるし、すごく慕われてるし、自分で切り開いて行ったじゃない。頑張り屋さんだから。
ユイいやいやいや、とんでもないです。恥ずかしい(笑)。より子さん改めてありがとうございます。なんかこんな風にお話できるなんて思ってもなかったな。その15年前、より子さんの前でポートフォリオを握りしめてる俺が。
より子でね、これ余談なんだけどストーリーアーティストのジェド(Jed Diffenderfer)とさ、日本でブートキャンプしないかって話してて。3日間か4日間のストーリーボードブートキャンプ。ユイ君と話しとくわって言ってたの。
ユイそれは是非やりたいです。
より子数年前から「Let's Art In 田舎のブートキャンプ」っていうのを企画してやってるのね。今年(2025年)はマルコス、去年はネイサン、その前の年はザックに来てもらって。私の授業はオンタイムで全部私が翻訳して、オンラインで配信もしてるの。毎晩交流会して、その交流会は全部ボランティアに通訳してもらって。みんなすっごい楽しんで、毎年大好評なの。
ユイ海外とつながって、ちゃんとこっちに持ってこれるような仕組みというかシステム作って、それちゃんと通訳してとか、やっぱり英語なしじゃ絶対あまり交流できないと思うんですよ。そこをより子さんがつなげてるっていうのは、かなり貢献してるなっていつも感じてます。背景アートと違って、ストーリーボードだともっと交通の便がいい東京とかでもできますよね。
より子東京とか大阪では意味がないの。田舎に行かなくちゃダメ。ちょっとぐらい田舎を盛り上げるの。それも大きい目的。午前中に講義して、午後は外でスケッチっていうのもあるし。ストーリーボードの場合は現地を使ってストーリーを作れって、写真を撮ってコンバインすればいい。
泊まるところも選ぶし、セッティングが美しいことが大事。食べ物とかにも非常にこだわって、ちゃんとお弁当も用意して全部する。すごいハンズオンなんです。
ユイより子さんが全部やっちゃうのがすごいなって。
より子このワークショップは毎年やろうって決めてるの。それと(Blue Gradationとして)日本のプロジェクトに対して、私がヘッドになってビズデブチームを作ってパッケージのサービスを提供していこうってのも考えてる。日本人のクリエイターを雇ってチームを組んでね。
ユイストーリーボードとビズデブとで一緒にデベロップメントができると最高ですね!
より子私としてはストーリーボードを頑張って日本に広めてほしいんですよ。ストーリーボードをやるところはハイクオリティを目指すところだと思うのね。ハイクオリティなものを作りたかったら、まずストーリーボードを押さえて曖昧なことをなくす。実はストーリーボードをやると一番無駄がない、最初からやっておくと計画的でしょ。ビズデブもそうだし、カラースクリプトも同じ。
実際の制作では、私たちビズデブは、ストーリーボードがある段階でそれを使って進めるわけね。最初はスクリプトだけでイマジネーション。それが固まってスクリプトが出てきて、ストーリーボードも何度も描き直してるでしょ。ストーリーボードが見えてくると、だいたいロケーションは変わらない。そこでロケーションデザインが始まるの。
その時、ストーリーボードのチームとアートのチームが同時にやるわけ。スクリプトも結構変わるじゃない、何テイク何テイクって。なんでスクリプトが終わってからやらないのかなって思う時もあるんだけど、同時進行しなくちゃいけないから。このシークエンスからって決まると、ストーリーボードもそこを先にやってる。それを見て「だいたいこのアングルだな」って思ってストーリーボードを元に(ビズデブを)全部やるの。どういうプロップが必要かっていうのも全部ストーリーボードから計算される。だからストーリーボードなしに映像を作るっていうのは考えられない。アメリカの映像制作ではストーリーボードありきだから。
ユイそうですね。すごくそれを感じてるというか、まさにビズデブとストーリーボードが一緒になるからこそできる映像があるっていうのは、いつも感じてます。
より子ていうかストーリーボードがなかったら、まず映像ができないんだよ。これが一番大切なの。だってどのように演出するか、つまりどんなドラマがあるか、どんなシネマティックがあるか、両方必要じゃない。ドラマっていうのは人中心のものとクローズアップ、それからシネマティックはカメラがどう動くかとか、全部それをストーリーボードアーティストが描くわけじゃない。だから本当にディレクターに一番近い存在なの。カメラマンにもなってるし、人によってはセッティングも全部ちゃんと描き入れてくれる。DreamWorksのストーリーボードの人ってきっちり描いてくれてたから。
ユイいやあ、改めて上手くなりたいなってすごく思いました。
より子もう十分に上手いよ。
ユイありがとうございます…!今回めちゃくちゃいい話がたくさん聞けました。より子さん、本当にありがとうございました。
より子久しぶりにゆっくりお話しできて楽しかったです。
前編では、パーティーでの衝撃的な出会い、ストーリーボードへの導き、桜祭りチャリティでのPixarとの偶然の出会い、そしてハリウッド業界のリアルなルールについて語りました。
中編では、1988年バブル時代の女性の閉塞感からの脱出、サンフランシスコでの時給3.5ドルの極貧生活と背水の陣、絵本作家からアニメーション業界への転身、そしてマダガスカルでのアニー賞ノミネートまでの軌跡について語りました。