SOIFUL対談企画
第4回:堤大介×栗田唯「ストーリーテリングと夢の列車」(中編)

対談企画第4回中編

SOIFUL対談企画第4回目は、TONKO HOUSE共同設立者・堤大介氏と栗田唯(SOIFUL代表)による対談。中編では、制約の中で生まれる創造性、監督としてのリーダーシップ論、ストーリーアーティストのあるべき姿、そして異文化の中で働くことの本質について語ります。

/ Interview

SOIFUL対談企画第4回目は、TONKO HOUSE共同設立者・堤大介氏と栗田唯(SOIFUL代表)による対談。中編では、制約の中で生まれる創造性、監督としてのリーダーシップ論、ストーリーアーティストのあるべき姿、そして異文化の中で働くことの本質について語ります。

制約の中で生まれる創造性

ブラッド・バードの名作に見る制約の力

栗田唯(以下、ユイ)制約っていうのは具体的にどういった制約なんですか。

堤大介(以下、ダイス)予算だったりとか。『アイアン・ジャイアント』はワーナー・ブラザーズでブラッドにとって初めての大きい作品で、なかなかサポートがなかった。

『Mr.インクレディブル』はピクサーで1作目で、まあまあサポートはあったかもしれないけど、その後の作品に比べたらいろいろ制約があった。当時のピクサーの中でもすごくスケールの大きいアクションフィルムで、筋肉がこう動いたら膨らんで、こう動いたら伸び縮みするみたいなテクノロジーを開発して使ったのが『Mr.インクレディブル』なんだけど、つまり当時は、テクニカル面にまだすごく制約があったんだよね。

『レミーのおいしいレストラン』は他の人がやってた作品を、ブラッドが制作途中にレスキュー的な感じで入った作品。途中まで出来ていて、うまくいってないこの映画をどうにかしてくれって、ブラッドにお願いしたやつなんだよね。僕の中では本当に名作だと思うんだけど。

ブラッドはその後もっと大きな作品とか実写映画とかやるけど、ブラッド・バードの名作と言われたらその3作だと思うんだよね、僕は。それを考えると、やっぱり制約ってすごく大事だと思うんですよね。制約の中でなんとかしてクリエイティブを絞っていくっていうのが一つ。もう一つはプライオリティを決めなければやれない、全部やりたいことができないっていうこと。ストーリー作りだけじゃなくて、ものづくりの時にすごく大事なのがプライオリティを作らないと完成できないってこと。つまり10個やりたいんだけど3つしかできませんよって言われてる状態が、多分一番健康的な形なのかもしれない。

監督としてのリーダーシップ論

ブラッド・バードと「委ねる」こと

ユイ少し話がずれるかもしれませんが、ブラッド・バードの話で前から気になっていたことがあって。ダイスさんって、監督としてすごくストーリーアーティストに委ねるタイプだと思うんです。脚本を読んで「こういう方向で」だけ伝えたら、あとはかなり自由にやらせてくれる。

一方で、ブラッド・バードはどうなんでしょう?僕の勝手なイメージでは、もっと「こうしてほしい」というビジョンが明確で、日本の監督に近いタイプなのかなと思っていて。実際はどんな感じなんですか?

ダイス僕はね、ブラッドと直接やったことがないのでちょっと自分の経験からお話できないんだけど、僕が聞いたところによるとそのシーン次第というか。でも、僕がブラッドのやつですごく好きなエピソードがあって。『Mr.インクレディブル2』の時に、あるシークエンスがうまくいってなくて、ものすごく短い時間で書き直さなきゃいけなかったんだよね。その時、ブラッドが書き直したアクションシーンの脚本がね、「ここでこうきて、ぶつかって、爆発して」みたいな細かい描写は全く書かずに、「Badass action!」(訳:最高にカッコいいアクション!)とだけ書いてあったんだって。

ユイその話、なんか聞いたことある気がします(笑)。

ダイスそれを渡されたのは、僕も知ってるアクションが得意なストーリーボードアーティストで、ブラッドが信頼してるルイ・ゴンザレスという人なんだけど。多分そういうエピソードはたくさんあって、要はそこを重要視するかしないかっていう話で。僕も『ONI』でこだわったところは、めちゃめちゃ「こうしてね」って細かく指示してる箇所もいっぱいあった。でも、「ここはユイのやり方が見たい」とか「ここはひかりちゃんならどう描くか見てみたい」っていうところは、その人に任せてみる。結局信頼関係なんだよね。「ここはすごく大事だから、こうしてほしい」って言うのももちろんあるし、本当はあまり細かく指示したくない気持ちも正直あるんだけど、こだわりがあるんだったら絶対伝えるべきだし。それを言わずにいると、僕は妥協できないので、結局あとから修正を出して、最終的には同じ結果になっちゃうと思うんだよね。それだと、やってる人たちの時間の無駄になっちゃうじゃん。だから、そこがギブアンドテイクなのかな。

僕、ブラッドのやり方を完全に把握してるわけじゃないんだけど、自分が今まで一緒にやって来ていいなと思うのは、多分どっちもできる監督なんだよね。「ここは君のやり方が見てみたい」って言ってもらえるのは、アーティストとしても嬉しいじゃない。

でも実は、自分のこだわりもなく丸投げする監督と一緒にやった経験もあって。全部委ねてくれるがゆえに、最後に見たら全然バラバラになっちゃったっていうケースも、やっぱりすごくあるのね。それはダメだと思うんだよね。

最後は責任は監督が一人で取らなきゃいけないと思う。ストーリーアーティストやヘッド・オブ・ストーリー、アニメーションスーパーバイザーがどんなに優秀でも、うまくいかなかった時にその人たちに責任を取らせてはダメだと思う。それが監督だと思うんですよ。

責任は監督が取る

ダイスだから、そう考えると、ベストのものを選ぶじゃん。これよく話すんだけど、自分の責任だから、「自分の意見が一番」なんて思わないのね。ベストじゃなかったら困るのはこっちなので。僕の責任で誰のせいにもできないから、ユイが自分よりいい意見を出してくれたら、そっちがいいに決まってるじゃん。ひかりちゃんが特にそれが多かった。『ONI』に関して言ったら、ひかりちゃんに言われて「そうだな、やっぱり」っていうのがいっぱいあったの。でもそこで、まだ若いひかりちゃんに「いやいや、何だよ」って言ってたら、それはもうエゴの問題。結局、責任を取るのは監督なんだから。

だから僕は、複数で監督をやるのは良くないなって思ってるんですよ。アメリカではよくあるやり方なんだけど、『ONI』をやって初めてそう気づいたんだよね。それまではずっとロバートと一緒にやってきたけど、責任を分散しちゃうと、ちゃんとした決断ができなくなるんだよね。

ユイいやーなんか突き刺さりますね、責任を分散させない。

ダイスそれぞれ特徴のあるいろんな監督がいるからね。リー・アンクリッチっていう名監督ともやったし、ブルースカイ時代にはクリス・ウェッジっていう天才型の監督ともやったしね。

ユイ監督によって、それぞれの特徴ってやっぱりあるんですか?ダイスさんだったら、光やカラーについて強いとか、アニメーター出身だとか、畑が変わればっていうのもありますよね。

ダイスすごくあると思う。「ここはもう特に僕は分からないから委ねる」っていう監督もいるし、「ここはすごくこだわる」っていう監督もいると思うので、そこは本当に人それぞれなのかなって思うけど。

ピクサー時代のダイスさん

ピクサー時代のダイスさん

ストーリーアーティストのあるべき姿

作品のためのストーリーテリング

ユイそれで言うと、ストーリーアーティストって、プロジェクトが変われば監督も変わって、ムードや目指すものも全部変わると思うんですよ。そんな中で、ダイスさんが考える「ストーリーアーティストはこうあるべき」っていう姿ってあったりしますか?

ダイス難しいところだよね。例えばピクサーみたいなところで言えば、ストーリーアーティストってずっと雇用されてるわけじゃん。アート部門とかに比べて、ストーリーアーティストってすごく監督に近いところにいるじゃない。だから監督が変わると、その監督と合う・合わないっていうのが特にはっきり出てくるんじゃないかなと思うのね。

ピクサーのストーリーアーティストで知ってる人もたくさんいるんだけど、見てて「大変だな」って思う人と、「この人はどんなプロジェクトでもやっていけてるな」って思う人がいる。これって、ストーリーアーティストとしての仕事をどう理解するかの違いだと思うんだよね。

なんでこの話をするかっていうと、僕、監督をやってみてアートに対する考え方がちょっと変わったんですよ。僕、もともとアートやってたでしょ。アートディレクターで作品全体に直結する仕事をしてたので、結構大きな決断とかを監督に直接ピッチするっていうのをやってたのね、『トイ・ストーリー3』とか『モンスターズ・ユニバーシティ』で。やっぱりどこかで、だんだん「これは堤大介がやった」みたいに自分を主張してしまう瞬間って、アートディレクターをやってる中であったと思うんですよ。

ユイ我が出てくるってことですか?

ダイス「我が出てくる」って言うとちょっと悪い意味に聞こえるかもしれないけど、もちろん我が出てくること自体は悪いわけじゃないし、「俺の映画だ」とかそこまでは思わなかったんだけど、やっぱり「『トイ・ストーリー3』のカラーは俺がやったんだ」っていうプライドはあったと思うのね。そう思ってもおかしくないぐらい、『トイ・ストーリー3』の時の監督がすごく信頼してやらせてくれてたっていうのもあるんだけど。

でも、そこで間違っちゃいけないのは、このプロジェクト、この映画のためのストーリーテリング全体を僕が担当してるわけじゃないってこと。あくまでストーリーテリングの一部を、照明とかカラーで担当してるんだよね。ストーリーアーティストも、それと同じことなんだと思う。

ピクサー在籍時代のダイスさんのコンセプトアート

ピクサー在籍時代のダイスさんのコンセプトアート(1/3)

ピクサー在籍時代のダイスさんのコンセプトアート

ピクサー在籍時代のダイスさんのコンセプトアート(2/3)

ピクサー在籍時代のダイスさんのコンセプトアート

ピクサー在籍時代のダイスさんのコンセプトアート(3/3)

立場が変わって見えたもの

ダイス僕、監督になって初めて、今、自分が監督としてアートをいろいろ見るわけじゃん。もちろん僕、アートのことはすごく分かってるので、僕の下でアートディレクターをやる人ってすごく大変だと思う。

だけど最終的には、この作品のために、というか、みんなで何か一緒に作っているそれこそが主役なわけじゃない。そこをやっぱり、特にピクサーみたいなところで働いてると結構見失いやすいなっていうのを、僕、ピクサーを出て自分が監督をやってる立場で思ったんだよね。これはピクサーに限った話じゃなくて、大きいスタジオで働いてると、自分の地位は確立されてるし、お金もたくさんもらえるし、メディアでもすごく取り上げてもらえるじゃない。

でも、そこでそれぞれが「自分のもの」としてやっていっちゃうと、結構難しいところに行っちゃう。やっぱりそれをまとめなきゃいけないのは、「作品」っていうハブなんだと思うんだよね。この作品を一緒に作ってる、この映画のためにユイがいて、堤大介がいる、みたいな。

もちろん、こうやって話してみると、ほとんどの人は「そりゃそうだよね」って思うと思うんだけど。よくピクサーのストーリーアーティストですごく悩んでる人って、大体「その映画自体を変えよう」っていうか、「俺だったらこうするのに」って苦しんでる人が多いのね。まさに僕もそうだったから、「絶対こっちの方がいいのに」って。その気持ちは全然悪くないと思うし、多分そういう気持ちがあったから僕もロバートも監督になれたんだなって思うし、それがダメってことじゃないと思うんだけど。でも、やっぱりやるからには楽しみたいじゃないですか。

ユイはい、もちろんです。

ダイスその苦しみっていうところで言うと、立場が変わって見えたものっていうのは、すごく感じるかなと思いますね。

一つ言うと、ピクサーの時とかって、僕も含めて役職とかをすっごい気にしてるんだよね。「自分のポジションが何なのか」みたいな。でも今この立場になって、もちろんそこがすごく大事なのは分かるし、みんなにとっても大事なことなんだけど、二の次だなって今はすごく思ってしまうのね。一人一人のプライドの部分よりも、大事なのはやっぱり、先に作ることだよねって。それがいかに大変かっていうのは、会社経営も含めて、めちゃめちゃこの12年間で経験してきたから。

なんか、その役職っていうことに対する執着心みたいなものが、ちょっとばかばかしく感じるようになったというか。やっぱり大きいスタジオでやってた時は、自分でもそれでしか自分の価値を見出せないみたいなところがあったんだと思う。皆すごくそこにこだわってたから。

なぜを明確にする

ユイそういう意味で、まさに、映画って何十人、何百人もの人が関わるわけじゃないですか。全員が同じ気持ちでやるのもめちゃくちゃ大変じゃないですか。それを束ねたり、先頭で旗を振ったりするやり方って、どうしたらいいんでしょうかね。全員が同じ気持ちでやれればすごく上手くいくと思うんですけど、それぞれいろんな思いややり方があると思うので、そのあたりどう思いますか?

ダイス監督っていうか、リーダーシップの話で言うと、いろんなことが大事になるし、いろんなやり方を考えなきゃいけないと思うんだけど、一つ僕が大事にしてたのは、ユイも覚えてると思うけど、「なんでこの作品を作るか」っていうのを、まず最初に明確にするってこと。これは僕の中ですごく大事にしていた。だから『ONI』で言ったら、僕がなぜこの作品を作りたいのか、ということを話してる動画を作ってみんなに見てもらったよね。働き始める前に、まずこれを見て、そこに賛同してほしいっていう形にしたんだよね。そこに共感できたら、絶対一緒にできると思うっていうか。だからやっぱり、まず最初に「これが理由だよ」っていうのをちゃんと明確にしておくのが大事な気がして。

ユイあれはダイスさん独自のやり方だったんですか?それとも、ああいうことは普段ピクサーでもやっていることなんですか?

ダイスあそこまでやることは、もしかしたらないのかもしれないけど、ピクサーではパーソナルな思い、自分じゃなきゃできないこのストーリーとのアタッチメントを監督が持ってることがすごく大事だっていうのを、よく聞かされてた。

それってもう否定できないじゃん。例えばリー・アンクリッチ監督が「子供の頃のこういう経験で、『トイ・ストーリー3』のこういうストーリーがもう彼の中でトラウマになっていて」って言われたら、それに対して「それはおかしいよ」とは言えないじゃん。もうそれって、完全にリーのものじゃん。多分(あの動画の話も)そこからきてるんだと思う、ちょっとずれてるかもしれないけど。

でも、その話で言うと、トンコハウスでも、自分の強いコネクションとか、心の奥底の絶対にぶれない部分っていうのをちゃんと持ってよねって言っているうちに、それがすごく大きな「なぜこれをやるか」っていう理由になっていくんだよね。

そうすると、やっぱり「なぜ」がないものって、なかなか賛同できないよね。「お金がいいから」とか「カッコいいプロジェクトだから」とか「自分にとってチャンスなポジションだから」って、もちろんどれも大事だし、「初めてのアートディレクターだから」とか「こんなお金稼いだことないから」とか、全然悪いことじゃないんだけど。それだけが理由だと、限界があるじゃん。どこかの時点で「このプロジェクト面白いと思ったけど、面白くないな」って思うかもしれないし、もっといい条件を出してくれる会社があったら分かんないじゃん。価値観って変わるから。

でも、「なぜ」の部分がちゃんと共有できてたら、それでもやめるってことは「なぜ」に賛同できないからだと思う。「なぜ」に賛同してくれてれば、プロジェクトって長いでしょ、1年、2年、3年とかかかる時もあるわけだから。そうするとやっぱり嫌な時もあるわけですよ。いろんなうまくいかない時とか、仲間とちょっと誤解が起きて亀裂が生じるとか、もちろん人間社会の中であるわけじゃないですか。そういうのも乗り越えられるのは、「なぜ」が確立してるからだと思うので。

だから「なぜ」を最初に言いたかったのは、僕自身がそこでぶれないようにするためなんだよね。みんなに「もし俺がぶれたら叱ってよ、止めてね」っていう意味でもあるんだよね。自分自身だってぶれる可能性があるじゃん、人間だから。だから絶対、それはみんなを裏切っちゃいけない。この「なぜ」は絶対外しちゃいけない。ストーリーは変わっていっても、「なぜ」だけは絶対外しちゃいけない。これは僕の中ですごく大事にしてるところなんだよね。

ユイこの話、やっぱり前半に話したこととすごく通じるというか。いくらアーティストが増えようとも、監督がちゃんと「ここを目指すんだ」っていう旗を立ててあるから、みんな迷わず進めるというか。例えば先ほどの宮崎駿監督や新海誠監督のように、個人のアーティスト性、作家性で作る作品もあれば、こちらはストーリーボードのチーム戦であるけど、「なぜ」がしっかりしていれば結構同じように戦えるというか、完成に向けて作品の制作が進むんだなって、聞いていて思いました。いやー、いいですね、素晴らしい。

バンビ背景の生みの親であり、ディズニーの伝説のアーティストのタイラス・ウォンとダイスさん

バンビ背景の生みの親であり、ディズニーの伝説のアーティストのタイラス・ウォンとダイスさん

異文化コミュニケーションと歩み寄り

壁を作っていたのは自分

ユイじゃあ、どんどん次の質問に進みたいのですが。日本で生まれ育った背景を持ちつつ、アメリカを中心に世界中の人々と仕事をしてきた中で、違う文化背景を持つ方と仕事をする上で、苦労したことや心がけていることはありますか?日本とアメリカの違いっていう意味で、何かあったりしますかね。

ダイスそれは本当にすごくあると思うんですよね。常に同じ価値観を共有していない人たちと一緒にいる、という前提がこちらで長く生活しているとあるので。でも、その苦労っていうのは面白いもので、やっぱり若い時のほうがすごく多かったなと思うんですよ。価値観が違うのって、例えば地方の人が東京に出てきたり、東京の人が地方に行くのと同じで、別に国と国の話だけじゃないと思うんだけど。海外だと、宗教とか、生活習慣、言語と、違いの度合いがすごく大きいんだよね。

最近すごく思うのは、若い時にそういうので苦しんだ一番の理由について、半分はもちろん言語と文化。自分とその人たちの環境や境遇が違うから、単純に理解できないことが生じてぶつかったり、分かり合えなかったりっていうのは、もちろんあるんですよ。でも、もう半分は自分なんだよね、結局。すごく苦しんだ一番の理由は、自分で結局、壁を作ってしまっていたっていうことだったなって、最近よく思うのね。

それどういうことかって言ったら、「これ、どうせ分かんないだろうな」とか、もし分からなかった時に、「自分のことなんてちゃんと分かってくれないじゃん」とかさ、そういうふうに思ってもおかしくない。でも、それって、価値観の違う人たちとのやりとりで壁を作ってしまっているわけですよ。それが文化が違う人、言語が違う人、男性女性とかさ、もっと言ってしまえば意見が違う人同士でも、同じことが単純に起きるんだよね。

歩み寄ることで世界が広がる

ダイス例えばさ、ユイが『ジュラシック・パーク』が大好きですと。

ユイ大好きです、本当に。

ダイス僕は『七人の侍』が大好きですとか言ったとするじゃない、例としてね。『七人の侍』の話をしても、ユイが「いや、僕は色がないのが苦手なんですよね」とか言ったとするじゃない。その時点で「ダメだこいつ、映画のこと何も分かってないじゃん」って僕が思うとして。ユイからしてみたら、「またダイスさんの“映画通”気取りが始まった」みたいな感じで。よくユイが言ってたじゃない、堤は「ひねくれ坊主」だと。

ユイ言ってたっけ(笑)。

ダイス例えば、「ちょっと待って、『七人の侍』が白黒で分かりづらいって思ってしまうのも分かる。でも待って、この素晴らしい世界を説明させて」って、こっちが歩み寄ってたら、ユイにとっても世界が広がる。『ジュラシック・パーク』も一緒で、ユイが「いや、ダイスさん、これを単なるポップコーンコマーシャルムービーって思ってるでしょ、違うんですよ。これめちゃめちゃいいんですよ、恐竜可愛いんですよ」とかさ。そこでユイがひねくれ坊主の僕に対して歩み寄ってくれてたら、僕もユイも救われることがあったかもしれない。

世の中の争いごとって、ほとんどそうでしょ。「この人はこの宗教だからこうなんだ」「外国人だから危険なんだ」とか、「あの国の人たちはマナーが悪い」みたいなこと、言っちゃうじゃない。どうしてもそういう風に言ってしまう風潮があるじゃん。そっちの方が簡単だよね、生きていく上で楽というか、自分が歩み寄らなくていいから。でも歩み寄った時に、「ちょっと待てよ、本当にそうなのかな。この人たち、なんでこんな行動してるんだろう、なんでこんなこと言うんだろう」って。そこで100%全てが上手くいくとは言わないけども、すごく損してたと思ったの、自分が若い時に。

なので、異文化の人たちとの仕事で苦労するっていうのは、おそらく異文化じゃなくても、程度の違いだけで同じ理由だと思う。結局、自分の歩み寄れる人間としての器がないから、シャットダウンして「こいつはこうだから」「あいつはああだから」っていうので狭めてしまっている。

もちろん、自分も全部できてるかって言ったらできてないんだよ。でも、そうやって決めつけても何も解決しないのは経験から分かるわけですよ。「これじゃ結局、単なる文句言ってるおっちゃんじゃん」みたいな。だから僕もそこは、いろんなところで歩み寄っていかなきゃいけない。終着地点はどこにもないんだけど。

多文化や異文化の人たちと一緒に働くとか、その人たちとやりとりをする時には、すごく丁寧にしなきゃいけないっていうのは、最近特に思うんだよね。若いときのほうがもっと大変だったなと感じて「何が違うんだろう」って考えると、それは結局、自分なんだよね、たぶん。相手が変わったんじゃなくて。

ユイやっぱダイスさんの話を聞くと、いつもすごいなと思っちゃいますね。ちゃんとこう、僕らのやってること全てが世界の縮図というか、それが大きくなったのが戦争やら平和やらっていうところの違いなだけで。

ダイス結局、人と人とがどう向き合うかっていう、根っこは同じなんだよね。それは仕事でも、会社をやっていく上でも、すごく繋がってくることだと思う。

ユイそのあたり、トンコハウスを長くやられているダイスさんのお話を、もう少し聞かせていただきたいです。

CREDITS
  • Yui Kurita / Interview
  • Hiroyuki Tsuiki / Editing